大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第一小法廷 昭和55年(オ)624号 判決

上告人 本田幸吉

被上告人 国

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人佐々木秀雄、同岩田広一、同上野進の上告理由第一点(1)について

相隣接する係争土地につき処分権能を有しない者は、土地境界確定の訴えの当事者となりえないと解するのが相当であるから、本件係争土地につき地上権を有すると主張するにすぎない上告人が本件土地境界確定の訴えの当事者適格を有する者にあたらないとした原審の判断は、これを正当として是認することができる。これと見解を異にする論旨は、採用することができない。

同第一点(2)について

国有土地森林原野下戻法(明治三二年法律第九九号)に基づく山林の下戻申請に対して不許可の処分を受けた者が右処分を不服として行政裁判所に出訴した場合において、行政裁判所が行政庁に対し係争山林を下戻申請者に下戻すべき旨の判決をしたときは、右判決によつて下戻申請者は新たに右山林の所有権を取得するに至つたものというべきであるから(大審院大正二年(オ)第一四八号同年一〇月六日判決・民録一九輯七九九頁、大審院大正二年(オ)第六〇九号同三年三月七日判決・民録二〇輯一九五頁参照)、その趣旨の原判決は、これを正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。

同代理人らのその余の上告理由並びに上告代理人佐藤哲郎、同寺坂吉郎、同中田真之助、同中田孝の上告理由及び上告代理人後藤信夫、同遠藤光男の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に基づいて原判決を論難するものにすぎず、いずれも採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判官 谷口正孝 団藤重光 藤崎萬里 本山亨 中村治朗)

上告代理人佐々木秀雄、同岩田広一、同上野進の上告理由

第一点 原判決には次に述べるとおり、法令の解釈適用に誤りがあり、判決に影響すること明らかであるから、到底破棄を免れない。

(1) 当事者適格について

原審は、境界確定の当事者適格について「およそ地上権者は当該土地の処分権能を有しているとはいえないから、境界確定の訴について当事者適格がない」と判示した。

然し乍ら、所有権以外の他物権についても境界確定訴訟の当事者適格あり、とする学説も存し(加藤正治民事訴訟法判例批評集第一巻一六五頁、奥村正策実務民事訴訟法講座第四巻一九一頁、森松万英境界確定事件に関する研究一五四―一五六頁)特に本件の如く立木所有を目的とする地上権にあつては、生成する立木とその定着する土地とは密接不可分の関係にあり、土地範囲の確定により、該地上に存する立木範囲は必然的に定り、直接にその効果を受けるものであるから、立木定着地に所有権がなくとも、立木所有を目的とする地上権者に対しては境界確定の当事者適格を否定すべきではなく、この点に関する原審の法解釈は誤りである。

(2) 国有土地森林原野下戻法に基く下戻判決の性質

原審判決は「右下戻法に基づく下戻の判決は、下戻請求者に対して山林の所有権を新に創設する効力を有すると解すべきことは「地租改正処分に依り或る土地が官有に編入せられたるときは……私人の所有権消滅して国が原始的に所有権を取得する」(大正三年一二月一九日大判)のであるから「下戻を受けたる者は其下戻に因りて新に所有又は分収の権利を取得するものにして国有以前に逆り所有者若しくは分収者の権利を認めらるるものに非ず」(明治三七年四月二〇日大判)という大審院判例に照らしても明らかである。」と判示し、右下戻法に基く下戻判決の性質を創設の判決なりとした。

ところが原審援用に係る右大審院判決は、旧憲法下における絶対専制主義の国家機構の下、その権力を背景にしての判例形成時になされたものであり、特に右大審院二つの判決は日露戦争中である明治三七年と第一次世界大戦中と云う何れも戦時非常態勢下にあつて、富国強兵の政策が強化され、我が国が世界の列強国に伍そうとして大いに国威の高揚が強調されていた時代のものであり、絶対的国家優先の風潮が支配していた時代思潮に立脚したもので、民主々義新憲法下の現代においては当然のこと乍ら修正変更されなければならないものなのである。

このことは同じく当時の時代思潮を背景として形成されたものと見られるところの「明治九年地租改正に伴なう国有林編入によつて入会権が消滅する」とした大正四年の大審院判決は誤りであり、国有林に編入されても入会権は消滅しない、と右大審院判例を修正変更した昭和四八年三月一三日の最高裁判例によつて香しくも鮮やかに証明されたものである。

本件山林の下戻判決の根拠法である「国有土地森林原野下戻法」は、明治初年の山林原野等官民有区分処分の際誤つて官有地に編入された土地につき、事後処理的権利回復を目的とし以下説明するような経過を辿つて制定されたものであり、その立法趣旨を窺うならば、右下戻法に基く判決は創設判決ではなく当然確認的給付判決であることが明らかとなるのである。則ち、

明治六年新政府が為した地租改正に端を発して行なわれた土地森林原野官、民有林の区別は同七年太政官布告第一四三号達に基き更に同八年地租改正事務局乙第三号達及び同一一号達等により処分されたが、もともと右諸達は政府の施政機関尚幼稚な時期に於て、しかも勿卒のうちに為されたので完全と適正を欠き、又区分実施に関する詳細なる規定が無かつたため、担当官吏に於て種々錯誤し或は又当時の官吏が林業知識に浅く只官有林の多からんことのみを欲したことから、林業の発展が遅れている地方、特に東北地方に於ては薩長と会津藩方と云う関係もあり欺瞞と暴圧とによつて多くの民有林が官有林に編入されるに至つたのである(辻瀬州著森林制度革新論七四、一九四頁)。特に明治七年太政官布告第一二〇号で定められた民有二種に該当する山林は「人民数人或は一村或は数村所有の確証ある学校病院郷倉牧場秣場社寺等官有に非る土地を云」とし、立証責任を住民に課し、所有の確証之無きものは皆官有にすることとし、官有地編入を容易にする方策をとつたが、尚以外にも民有地が多いため前記達三号を制限するため達一一号を発し民有地の少なからんことを望んだのである(小林二四、辻六三、四頁)。尚政府の策謀は、生活に窮していた農民に対し「官有になつても従来通り薪や秣を採つてもいいのであり、もし民有にしておけば税金を納めなければならないが可能であるか?」等詐言を弄し、農民をして官有になつても従来通り利用出来るならお上に差上げ租税を免れた方が良い、と誤信させ、進んで提供するに至らしめたのも多かつたようであり(勧業銀行著本邦地租の沿革六四頁以下及小林三衛著国有地入会権の研究三八頁)、以上の結果は、東北地方に於ては殆んどが官林となつて明治二五年現在森林原野官民有比較表によれば官有地の割合は奈良〇・三%、福井三%、京都・兵庫各五%となつているのに反し東北地方は青森九七%、秋田九四%、山形八三%、と驚くべき数字となつている(福島正夫地租改正の研究六二七頁)。こうして遂には「軒下官林」の言を産み、後記の如く土地境界の目印の為耕地に木を植えて置いたところ、係官が来て木が二本あれば林であり三本あれば森であるとして官林に編入してしまつたということもあるという有様であつたのである。

当時に於けるこれ等政府の暴圧と策謀の二、三を示せば次のとおりである。

明治三七年第七一六号訴訟事件に付<証拠略>として提出された大野郡長より岐阜県知事に対する「官民有境界云々の議に付具申」と題する書面内容の一部には「……改租当時の予想とは大いに齟齬致し非常の差支を生じ甚しきに至りては民家の軒下より官有に相成或は家作木薪炭材伐材場所秣刈場所焼畑仕付地等総て生活上の必要の場所多く官林に相成居為……」と記載され、大正一四年(キシ)第一四号事件の<証拠略>には、

……本山は官民地境界査定について村役場より県庁へ提出してある図面と対照したるものと思うも場所の査定に付いては自己の意見にて其の境界の場所を取定めたりと聞き及びたり同人が官民林調査の為め木曾谷へ出張し証人居村より以前に取調べたる場所にありては意見に従うものあれば鞭を以つて打擲したりなどの風評ありし為め……関係民は怖れ居りしため本山に逆ひて自己の意見を貫徹せんとする者なく本山が主として意見通りに境界したる場所を取定めたるも関係民は止むを得ず不備の点あるも強いて逆はざりし事情なり、

本山は其際民有地を官有地に編入し……福島村の庄屋村井忠右衛門が其職掌上福島村の官民有地の境界調査に付いて案内したる際強いて本山の意見に逆いたる為に鞭にて本山に打たれ其後同人は狂人となり、三、四年を経て死亡したりとの事……

本山が調査に来たりたる後命令により更に該図面を改製し又は新に図面を作りたるや否や証人は不知

同事件<証拠略>には

本山は木曾谷に於ける官民有地の境界査定の一般方法として五木(五木とは檜、さわら、あすひ、こうやまき、ねずこ等を云う)の生立せる場所は官有地となし、五木生立せず芝草等のある場所は民有地となす方針により民有関係者をして林中にてその境なりと称する所にて火を焚かしめ其の燃え上るを遠望し居りて其の境を定むる方法にて従て同人が相当と認めざれば幾度にても焚直さしめて其場所を定めたり然るに其際関係民にして境界なりとて五木ある場所にて火を焚きたるため叱責され焚直させられ……

御示しの<証拠略>の地図の原本は証人が村長在職中にも居村の役場に備付ありしものにして其原図は年代は知らざるが明治初年頃に出来たるものと思う。

<同事件証拠略>には(<証拠略>)

……結局本山の指揮通りに境界を定めたるが一般に五木あるところは官地とし其無き場所は民有地となす標準なりしが該調査に付ては不当なりと随分不満のものありたれども……関係民も意見に逆へば本山は鞭にて打つても……噂を聞き居りたるため其の調査に不満なりしものも口先にてはよろしきように取計はれたき旨申し……

同事件<証拠略>(<証拠略>)

前陳調査の際に本山が岩郷村戸長村井忠右衛門を鉄鞭を以つて殴打したるとき証人は其場に居りて目撃せり又同人の死亡は本山の殴打に原因するものなりとの事なり。

前陳本山が調査の際に立会居りし旧岩郷村の副戸長水野忠蔵は其官有地の境界に付本山に対し反対の意見を述べたるため直に同人に鉄鞭にて打たれんとせしを逃げ出したるため遂に殴打を免がれたるも夫れを畏れて其翌日より其立会に出さりき

※正に本件小白森一番の引渡の際における担当係官と湯本村々民との口論と同様で当時の様相を想わずには居られない。

証人三七年第七一六号事件の<証拠略>

証人は何時頃岐阜県令に奉職したりや

明治元年以来同二六年迄引続き岐阜県に奉職いたしました。

……右公有地に非ざる分即ち筑摩県が官有地に編入せられたる土地の内にても証人の見込みによれば沢山民有に編入しなければならぬ分があつたと思いましたが既に処分済の分は如何共致し方なかつたのであります。

と、又辻瀬州は前掲著書、地租改正事務局乙第一一号達の説明の項に於て(六四頁以下)

而して此達と訓令と出たるにより其執行者は遽に区分の執行方針を改め可成官有林を多からしめんと勉めたり、確実なる民有の証拠あるものをも皆之を官有と為さんとせり。蓋し当時政府の意は決めて民有を押奪するに非るは勿論なりしならん而も執行吏員は其地方人を用いたるに非ずして皆遠隔せる異県人にして毫も其調査、地方の慣行藩制を暁知せざるのみならず、毫も森林に関する知識を有せず、庸劣優愚の小吏は地方人民に参問することもなく証拠の有無を問うこともなく只々官有地の多からんことを貧りたる如く、其の執行は一定の規定あるなく時に因りて変じ人に因りて異り、極めて錯雑なる形態を以て民有林を奪収し去れり、即ち或は推測的認定を以て官有となしたるものあれば又正確たる証拠を退けて民有を収めたるものあり或は隣接隣保の顕大なる保証あるものを官有となし又甲県に於て町村有となりし性質のもの乙県に於て官有となり丙県に於て一己人の所有となりし特定物にて丁県に於ては官有と為り甚しきは数村入会の証拠顕然たるものにして官有と為り殊に甚しきは数十百年間家屋を建築しありたる宅地耕作したる田畑にして官有に編入せられ……予が当時目撃せしものの中人民の耕作地内に両三株互に遠隔せる樹木の存せるありしが、官吏は之を森林に編入せんとし所有主は森林に非ず耕地に境界を為す為め植栽せし樹木なりと争いたるに吏員は之を聞かずして苟も木の二株並び存するものは林なり三株在るものは森なり此畑地は森林に属すべきものなりとて叱怒し去りしが地券の下るに及んで該耕地は附近の官有林に編入せられて持主は茲に数反歩の畑地を失いたりき、以上の如くにして民有の官有に編入せられたるものは枚挙に遑あらず又想像するに余りあるなり鳴呼全国幾百万町歩の民有山林を故なくして算墨の間に官有に押奪し去られたり。と述べている(<証拠略>)。

この様に政府は多くの民有地を官林に収めた為、農民等は完全なる証拠を添えて請額したがこれに対し政府は表向き之等を受理しつつもその実一旦官林に編入したものは成るべく民有林に復さざる方針であつた為主務省の机上には請額書が岳の如く堆積し、官吏は之を眺望するのみで処理せず農民は許可を待つこと恰も大旱の雲電を望む思いであつたが少しも顧りみられなかつた、こうした為遂に之に対する反抗は集団による盗材、放火等の実力行使となり多くの犠牲者を出すに至つた(辻一二七頁以下、小林五二頁以下、前掲福島六二九頁以下及び川島外二名共著入会の解体二一二頁以下)。

この農民抵抗について前記辻氏は「彼等は生計を営むための租税として相応に公然として刑罪を官に納むるを甘んずるものなり」と評している。

斯る事態に対処するため政府は明治三〇年第一〇帝国議会に於て下戻法案を提出之を可決したが、その提案理由は「土地森林原野官民有区別は明治七年太政官第一四三号達に基き且同八年地租改正事務局乙第三号及同第一一号達に拠り処分し来りたりと雖も元来右等の諸達は地租改正上臨機処分の心得を指示したるものに過ぎずして今日百般錯綜の事実あるものを処分するに対しては其不備にして且缺点の多きこと論を俟たず往々官民有区別の処分に穏当を欠くものあるを免がれざるなり故に其の処分をして極めて適実ならしめんと欲すれば一定の標準を法規の上に置かざるべからず之に加え如斯行政処分は申請の期限に時効を設く事にあらざれば国有財産の整理安固を期するの時なきを以て茲に特別の法律を制定するの必要を認め是れ本案を提出する所以なり」と述べられているのである。

これが国有土地森林原野下戻法の立法趣旨であり、こうして成立した下戻法の一部を抜萃すると、

第一条 地租改正又は社寺上地処分に依り官有に編入せられ現に国有に属する土地森林原野若は立木竹は其の処分の当時之に付き所有又は分収の事実ありたる者は此の法律に依り明治三十三年六月三十日迄に主務大臣に下戻の申請を為すことを得、以下略

第二条 下戻の申請を為す者は第一条の事実を証する為少なくとも左の書面の一を添付することを要す

一、公薄若は公書に依り所有又は分収の事実を証するもの

二、高受又は正租を納めたる証あるもの

三、払下下付売買譲与質入書入寄附等に依る所有又は分収の事実を証すべきもの

四、木竹又は其の売却代金を分収したる証あるもの

五、私費を以て木竹を植付けたる証あるもの

六、私費を以て田畑宅地に開墾したる証あるもの

第三条 前条の証拠書類にして所有又は分収の事実を証するに足ると認むるときは主務大臣は其の下戻を為すべしと定められているのである。

ところで政府は更に下戻法にもとずく諸規定の一つとして明治三五年五月二五日国有土地森林原野下戻法適用に関する心得として次の如き農商務省訓令第一二号を出した。それによると、

一 下戻法第一条中には左の土地森林原野を包含す

一、府県設置以後政府の錯誤により……地租改正の際誤て官有に帰したもの

二、上地後政府に於て民有に復帰せしむべきことを指令したるものにして地租改正の際誤て官有に帰したもの

(省略)

四 下戻法に於て土地森林原野に関し所有の事実と称するは左の例記したるものを云う

一、村、部落、一個人、名受又は持抱たることを認め得べきもの

二、進退、勝手又は支配たる明文あるものにして地盤所有に関係あるもの

三、村、部落又は一個人の持として境界を争い持地の裁断を受けたるもの

(省略)

八、主産物の伐採売却又は其の代金の割賦等が所有権の効果と認め得べきもの

等各々規定されているのである。

以上要約すると、右下戻法及び関係法規には「誤つて官有に編入され」「民有に復帰せしめべき」「当時之に付所有の事実ありたる者」「所有の事実を証するもの」「政府の錯誤により」「下戻を為すべし」等民有の所有に属すべき事実の証があつたときは下戻せ、との趣旨が規定されているのであつて、これ等諸規定からしても右下戻法に基く下戻の判決は当然旧民有所有権を確認しその回復を命じたもの、即ち確認的給付判決と解さなければならないのであり、特に個人の財産権を保障した民主々義憲法下においては、前述絶対君主制下の時代風潮を背景基盤とした前記大審院判例は修正変更されなければならないことは明らかである、にも拘らず旧態依然として右旧大審院判例に従つた原審判決は明に法令の解釈を誤つた違法がある、といわなければならない。

<以下略>

上告代理人佐藤哲郎、同寺坂吉郎、同中田真之助、同中田孝の上告理由 <略>

上告代理人後藤信夫、同遠藤光男の上告理由 <略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例